東日本大震災支援活動の御礼とご報告

平素は、弊社企業活動及び社会貢献活動に、ご理解、ご協力を頂き誠にありがとうございます。昨年3月11日の東日本大震災発生より一年と6ヶ月が経ち、予てより行って参りました東日本大震災支援活動において、本年8月末日までに777






907円という皆様の心温まる励ましを頂くことが出来ました。
当初、日本赤十字社を通じまして、寄付をさせて頂く予定でしたが、平成24年6月1日よりホームページでのご案内の通り「NPO法人泉里会ケアホームめぐみ」様に義援金としてお渡しすることとなりました。
今月9月8日(土)に宮城県気仙沼市の「NPO法人泉里会ケアホームめぐみ」様を訪問させて頂き、無事皆様からの善意と共に義援金をお渡しする事が出来ました。まだまだ被災地は広範囲に渡り復興が進んでいないのが現状です。私達が今後すべき一番大切な事は、東日本大震災を忘れず、復興が完了し被災地の方々に本当の笑顔が戻る日まで寄り添い支援し続ける事です。
弊社と致しましても、社員、家族、協力業者の皆様のお力をお借り致しまして、最後までご支援させて頂く所存でございます。また皆様におかれましても、今後共末永いご支援、ご協力を賜りますよう重ねてお願い申し上げ、御礼とご報告とさせて頂きます。誠にありがとうございました。
平成24年9月吉日
松川電氣株式会社
代表取締役 小澤邦比呂
東日本大震災救援募金活動報告
昨年、平成23年3月11日 東北関東地方を襲った大地震と大津波で多くの方々が被災されている映像をテレビのニュースで見て知った時、居ても立っても居られず「少しでも被災者の方々の為に、役にたつ事を何かしてあげたい!」という思いに駆り立てられ、浜松駅前広場に立ち、街行く人達に声を掛ける街頭募金の活動を始めました。その後 いろいろな行事の催しの場面で多くの方々に募金の御願いをしてまいりました。
皆様から御預かり致しました「心温まる善意の募金」
各種募金活動による募金額 ¥777,907−
松川電気株式会社 寄付金 ¥1,222,093−
合わせて ¥2,000,000−の目録を携えて、去る9月8日に前回のブログで御案内させて頂きました宮城県気仙沼市の施設 特定非営利活動法人 泉里会 ケアホームめぐみ様へ御届けに上がりました。ケアホームめぐみ様では、当日 施設長さんをはじめ職員・利用者の皆さんに大変、温かく迎い入れて頂きました。そして、施設長さんより震災当日から今日までの涙ぐましいまでの御苦労の数々、又 これからの計画・運営等を御聞かせ頂きました。当日の様子を掲載させて頂きますので御覧頂きたく思います。皆様より御預かり致していた「心温まる善意の募金」をお届けした御報告を、ここにできた事を大変うれしく思います。本当に心より厚く御礼を申し上げます。ありがとうございました。
東日本大震災の被災地を訪れて
今回 私たちは平成24年9月7日〜9月8日にかけて震災直後より会社にて集めてきた義援金を福祉施設へ手渡しする為に気仙沼市まで訪問してきました。 初日は社長の計らいで福島に立ち寄り福島西ロータリークラブの佐藤会長、佐藤前会長、高橋幹事、鈴木エレクト、久米委員長の皆様に現在の福島県の状況及び震災が発生した時の現実を教えていただきました。 福島県、現在の状況は原発事故の影響で子供人口が大きく減少したそうです。市内小学校の新入学児童で大きかったのは昨年58人入学したのに対し今年は28人しか入学しなかったそうです。これもすべて原発の放射能被害を回避する為に子供を持つ親が自己防衛で行っている行動だそうです。あと、いまだに風評被害で野菜、果物などの売れ行き及び販売価格が非常に悪いそうです。このような状況が続いている為廃業する農家の方も非常に多いのが現実だそうです。最近、東京電力も補償問題の会議などで発言することで原発事故で死亡した人はいないですよねと言う発言が出ているそうです。住民の怒りをかう発言で補償問題なども長引きそうな感じだそうです。このように非常に厳しい状況が福島県では続いているので長い時間をかけた支援が非常に必要だという事を感じました。
あと、震災時の状況や現実を教えていただいたのですが、非常に行政からの情報が少ない為に町中が混乱していたのが現実だったそうです。やはり正確な情報をどのように通達するのかを会社でもしっかりと考えておかないといけないと感じました。 福島西ロータリークラブの方には、自分達が経験した事のない非常にありがたい話をいただき今後の震災対策に役立てるよう、自分達が行動しないといけないなと強く思いました。
福島県を出た後岩手県一ノ関駅をへて宮城県気仙沼市へ向かいました。 気仙沼市までの道中は震災から1年半たった状況なので震災の傷跡はあまり見当たらない状況でした、気仙沼市に入り海岸近くに移動するにつれ家屋の基礎だけが残る状況の場所が増えてきました。最初は建物があるところと基礎だけしかないところが点々とする状況だったのだが、テレビでも放映されていた鹿折地域に入った途端状況が一変しました、地域全体のほとんどが建物基礎のみになっており、大きな漁船も打ち上げられた状況のままになっていました。自分は1年半では、まだがれきの処分しか出来ていないんだと現地の状況を見て愕然としました。復興とはまだほど遠い状況にある事を痛感しました。この後まだ時間的な余裕があったので、今回の震災で壊滅的な被害を受けた岩手県陸前高田市に足を運び現在どのような状況なのか視察に向かいました。山を抜け海岸が見える状況になった時、震災のものすごさが直ぐに解りました、陸前高田市という場所をすべて津波が呑み込んでしまった、これが自然の怖さなんだと思いました。見渡す限り建物の基礎くらいしか残っておらず建物で残っているものは鉄筋コンクリート作りの大きな建物のみ、残っていても扉はなくなり中の物はすべてなくなってしまった状況でした、本当に1年半経っているのか解らない状況です、がれきもまだ山のように残っており処分が出来ない状況であったり壊れた建物の解体や復旧も全く手付かずの状況、何時になったら町の復興が出来るのか全く見当がつかないのではないだろうかと思いました。視察1日目で福島の現実、岩手、宮城の現状を視察し、自分達が絆、復興支援と言葉にしている事がいかに言葉だけであるかを痛感させられた1日でした、今後は一過性ではなく永く続ける事の出来る支援を微力ながら進める必要があると感じました。2日目は今回の目的地である“ケアホームめぐみ”への訪問を行いました。気仙沼市の海岸線を南に降りて行ったところに今回の訪問先のケアホームめぐみさんはありました、非常に海岸線は奇麗なのですが震災の傷跡がいたるところにある状況で、昨日視察に訪問した場所と大きくは変わらない場所でした。施設に着いて理事長の森谷さん、管理責任者の菅原さんに震災発生から現在の施設の状況をじっくりと説明していただきました。 震災発生時 森谷理事長は現在の施設に居たのですが、発生直後すぐに高台に行き海岸線を見に行ったそうですが、ものすごい津波でただ見ているだけしかできなかったそうです。震災での施設の被害は新規に建てたケアホーム1棟とイチゴビニールハウス7棟
だそうです。施設の運営スタッフ及び施設利用者で被害にあった方が出なかったそうです。話を聞いた後 小澤社長から当社からの義援金200万円が森谷理事長に手渡されました。何とか、このお金を有効に使っていただければありがたいなあと思いました。最後に施設の中を案内されて障害者の方たちと面会しましたが非常に元気そうで、よい施設で生活している感じを受けました。
最後に今回、この2日間の視察を行い、自分達人間はいかに無力かを思い知らされた視察でした
今後自分がこの被災地の方々に支援していくには福島、気仙沼で言われた微力でも、継続的な協力をしていくことが非常に大切なことであると感じたので今回の出会いを1回限りで終わらすのではなく2回3回と続けていけるように努力していきたいと思います。
今回この視察旅行に同行させてくれた小澤社長に感謝したいと思います。
統括部長
松川智雄
東日本大震災の被災地を訪れて
昨年の3月11日以降テレビや新聞等で何回となく、地震に伴う福島の原発事故の
様子を映像で見たり聞いたりしてきたわけですが、今回 福島県の福島西ローターリークラブの方々と、お話をさせて頂く機会をもち現地の「生の声」を聴く事ができました。現地の声として「もっともっと」原発事故に対する怒り・憤り・愚痴・恨み事等の
お話をされるかと思っていました。が、起きてしまった事故そのものや自分達の今後の
事よりも、事故に依って、更にこれから事故が完全に終息するのに何十年かかるのか判らない状況の為に、将来を担う子供達が居なくなってしまった地域の事、心ならずとも
放射能を浴びてしまった子供達の将来の事等、今後の対応について大変案じられておりました。「将来の夢を描こうにも放射能汚染が解決しない事には、夢が描けない。」と嘆かれておりました。現状に於いては問題が問題だけに、成す術も無く手を拱いているのが現状のようです。しかし、「何とかしなくては!」という思いは「ひしひし」と伝わってまいります。原発については再稼働問題を含めて、いろいろと考えさせられます。
気仙沼市では、大きな漁船が津波に依って流されている映像をテレビで幾度となく
見た衝撃的なシーンの地域に立ち寄らせて頂きました。現場を実際に訪ねて見てみると
こんなにも大きな漁船が海岸から1km以上も流されてきたとは、信じがたい光景
です。でも、その光景は現実であり津波の破壊力・脅威をまざまざと見せつけられました。その船の傍らには誰ともなく作られた祭壇があり、数々の花が飾られていて、胸を
締め付けられる思いがしました。自分達が立ち寄って居る間にも、次から次へと幾人もの人々が来られていました。気持ちは同じでしょう。震災から1年半も経っているのに「何から手をつけていいのやら、どうしたらいいのやら。」という感じで、今だに
ほとんどの地域が手づかず、そのままになっている状況でした。直接現地で津波に
襲われ被害にあった地域をみると、被害を受けた地域の広さ・海岸からの到達距離・
津波の高さは頭に描いていたレベルとは想像を絶するほど違い、今回現実を目の当たりにして、地震・津波の淒まじさ・怖さを再認識させられました。
陸前高田市では、気仙沼市と同じように津波に依って広範囲にわたって全ての物が
跡形もなく破壊され無残にも瓦礫の山となっていました。そのような状況のなか
奇跡的に残った1本松を見る事ができました。悲惨な光景を見続けていて、萎えいでいた気持ちに少し元気・頑張りを貰えた感じがします。
「ケアホームめぐみ」さんでは森谷理事長からお話しを、お伺いさせて頂きました。
「ケアホームめぐみ」さんは気仙沼市の市街からはずれた自然の多い緑の木々に包まれた静かな所にあり、中〜重度知的障がいの方々が、日中就労後も安心して暮らせる事を目的として建てられた施設です。利用者が多くなり手狭となった為、海岸近くに もう1棟を建設されていたおり、完成間近だった建物を津波で全てを破壊され、残ったのは借金だけとなってしまいました。しかし、「何のためらいもなく、行き場を失った利用者の為に、もう一度 一から施設を作ろう!」と、取り組まれ「見返りのない奉仕」を実践されている事に、言葉では言い尽くされない感動を覚えました。
特に、これと言うような大きな災害に合わないで、毎日 何不自由なく働く場がある事、又 将来の夢や希望を描き考えられる事が、どんなに本当にありがたく、どれほどに恵まれている環境の中にいるのかを、(日々思っている事ではありますが)より強く実感した研修視察の旅でした。今後は、この研修視察の旅で見た風景・体感した事・
聞いた事、そして思いを忘れる事なく自分達の事だけではなく地域社会(特に弱者)の
事に、今迄以上に目を向け、松川電気としての電気工事業と合わせて「地域の社会貢献にも精力的に関わり活動している企業」となり、近隣地域から「地域になくてはならない会社」と言われるような会社に、社員全員の力でなっていければと思い願っています。
営業総務部 部長
丸井清夫
東日本大震災の被災地を訪れて
9月7日(金)から一泊二日の日程で、小澤社長はじめ管理職の方計6名で福島県福島市、宮城県気仙沼市を訪れました。東日本大震災で多大な被害を受けられた方々に、社員、協力業者の皆様と1年半かけて集めた義援金を直接現地の施設にお届けする事と、震災1年半が経過した今、どの様な状況になっているのか、視察する事が目的です。
初日の昼に、福島市に立ち寄り、福島西ロータリークラブの方々との懇談会がありました。その中で被災後の福島県の現状の説明があり、原発事故の影響で特に子供達への放射能の影響が問題視され、特に若い世代が少なくなっている事と、農畜産物への風評被害が大きく、物が売れなくなってて困っているとの事でした。形が壊れた物は直せばいいのですが、この問題は原発に近寄る事も出来ず、何も出来ないというのが現状であり、本当に深刻な問題である事を再認識させられました。
その後、気仙沼、陸前高田へと向かい、気仙沼の内陸に座礁した船が未だにそのままになっている場所や、陸前高田の奇跡の一本松のある所に足を踏み入れました。建物が基礎だけ残して根こそぎ無くなっている所や、使えなくなってそのまま放置されている公共施設、未だに積み上げられた瓦礫の山を目の当たりにして、まだまだ時間が必要だと思ったのと、そんな場所でも雑草だけが青々と成長してるのを見て、自然の強さと人間の無力さを感じました。そして、自分達が如何に恵まれた環境の中で幸せに生活しているかを再認識させられました。
二日目はNPO法人泉里会『ケアセンターめぐみ』という施設を訪れ、かねてから計画していた義援金の寄付をさせて頂きました。そこで泉里会の森谷理事長の話を伺いました。現在の定員7名の施設は手狭となった上、地域からのニーズもあり、新しい施設『ケアホームめぐみ中島』の建設を計画したそうです。そして、賃貸物件を借り、改修工事も無事終わり、昨年の3月17日に事業の認可も下りる予定で、あとはオープンを待つばかりの状態だった施設と、地元の人達の協力を得ながら二年がかりで作ってきた苺のハウスを一瞬にして失った事を聞きました。しかし、その光景を見ながら「もう一度やる」という決意を持ったという話を聞き、本当に驚きました。普通なら絶望の淵に落ち、何もやる気が起こらなくなる様な状況ではないかと思います。しかし、そういう状況の中でも理屈ではなく、自分がやらなくてはいけないという気持ちを持てる責任感の強さ、人間の強さ、そして優しさ、温かさを感じました。幸いにも再度施設の建設のめどが立ち、いい方向に進んでいるとの事でした。この様に色々な強い想いが「力」になって、夢が実現されていくという事を改めて感じました。
最後にこの二日間、本当に貴重な体験をさせて頂きました。今回この研修で思った事、感じた事を忘れない様に、強い気持ちを持って自分を磨いていきたいと想います。
施工部 部長
村松正章
東日本大震災の被災地を訪れて
今回被災地を訪問して感じたことは、報道等でも知識として知ってはいるのですが
一年半経過をした今でも多大なる苦渋を強いられている方々が非常に多く、また災害は本当に広範囲にわたり甚大な被害をもたらしたことを自分の身を少しでも、そこに置くことにより改めて実感し、自らの存在自体がこんなにも小さく無力であることを痛感したことです。最初に訪問した福島では福島西ロータリークラブの方々と懇談させて頂き原発事故による子供たちへの今後の心身に関わる影響を非常に懸念されていること、避難命令により避難されている人以上の方々が県外へ流出されていること、農作物などの風評被害に対し必死の努力をされているなどのお話を伺うことができました。そしてそれらの山積された問題をどこから手をつけていいのかと苦悩しながらも復興に尽力されている様を感じ取ることができました。
また気仙沼市のケアホームめぐみへの訪問では、物的損害は非常におおきかったものの
人的被害は当ホームでは少なかったことを前向きにとらえられ自らの使命感により今日までの苦労を話して頂いた森谷理事長の言葉を聞き、現在浜松にて幸せに生活させて頂いている私たちが今回の募金活動の実施をして本当に良かったと感じました。
私たちにできることは本当に小さなことだとは思いますが、この地を訪れたことを自分との縁だと感じ、お会いできた方々に思いを馳せながら自らのやるべきことを精一杯し、
今後も微力ながら貢献をしていきたいと思います。
またこのような経験、体験をさせて頂いたことを感謝しながら今後の日々を送って行きたいと思います。
管理部 部長
跡部幸宏
東日本大震災の被災地を訪れて
今回(9/7・9/8)被災地を見学するにあたって、1年半前にテレビで見た信じられない光景を思いだし、現在 どのくらい復興が進んでいるか関心がありました。
気仙沼市では、海より数百メートル離れた陸地で、家屋や車を下敷きにし町のシンボルとして残っている第18共徳丸を見ました。陸前高田市では、見渡す限り、建物が壊れ住宅の基礎がむき出しになり、雑草に覆われていました。また、がれきの山も多く見られました。道路や電柱のみが新しく、まだまだ復興には時間がかかると感じました。
気仙沼市のホテルから車で40分ほど離れたケアホームめぐみを訪れるまでの道中でも同じ状況が続いていました。
ケアホームめぐみでは、森谷 隆三理事長と菅原 満子サービス管理者が涙ながらに、震災当時の恐怖や苦労を話してくれました。また、皆で協力し合い、助け合ってきた事やこういう状況のなかでも後先を考えず自分がやらなければならないという強い気持ちをもち対応してきた事を話されました。自分の生活よりも、周りの皆さんの事を考え、本気で復興に取り組んでいる姿に感動しました。また、ケアホームに入居されている方も元気に暮らしていました。
福島での、西ロータリークラブの皆様との懇談会では、福島原発の影響で農産物の風評被害や人工減少などの問題を話しあいました。60km離れた福島駅周辺でも、0.4マイクロシーベルトの放射能が検出されていました。18歳以下の子供たちが、福島原発の影響で減少しているので、今後 町が過疎化していかないかという心配もしていました。また、働かなくても国からの補助がもらえるということで、実際に働く人が少なく、働く人が損をするという状況で遊んでいる人が増えているそうです。ただ復興といってもハード面での改善だけでなく、ソフト面での改善も必要ではないかと思い、本当の意味での復興がいかに難しいか痛感しました。また、今後、福島の町が、良い方向に復興していくか心配になりました。最後に、私たちが、被災地域を見て・聞いて・話して・情報を提供してもらい、被災地の皆様に対して、地域物産の購入だけでなく、何か支援ができることを探し、今後も支援していきたいと思いました。
品質管理 部長
内山和司