「孝行をしたい時に親はなし」
2021/09/01
営業総務部 岩田光生
7月・8月は新型コロナの感染が拡大しました。飲食店を経営する方は、お酒を提供出来ないのは痛い、と一見口調は穏やか。内心どの様な思いだったでしょう。そして日本で一日の感染者数がついに万単位になりました。過去最多という言葉を何度耳にしたことでしょうか。医療現場の受け入れが限界となって、入院対象が重症患者に制限される中、自宅療養者が重症化して入院できないまま亡くなったという話を聞きました。
豪雨の被害も深刻でした。数十年に一度という豪雨が日本各地を襲い、土砂崩れや河川の氾濫による浸水被害が出ました。多くの方が避難し、死者も出ました。静岡県内では熱海市で土石流が発生し、延べ二万人を超える自衛隊員が動員され、人命救助や捜索、がれき処理が行われました。お亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りすると共に、被災地の一日も早い復興を願っております。
話は変わり私事になりますが、彼岸月の九月は、私の父親が亡くなった月になります。二十三回忌をすませて次は二十七回忌になります。二十三回忌をやった、と人に話すと、ずいぶん丁寧ですね、と言われました。最近はそこまでする家庭は少ないようです。
父のこと、父との思い出を少し書きます。
自営業をしていた父は、一年のほとんど仕事場にいるという人でした。元日に仕事を休むと、体調が悪くなると言って、次の日には仕事場にいるという人でしたが、本当は他になりたかった職業があったようでしたから、仕事が好きだったというわけではなく、家族の為に頑張っていたのだと思います。几帳面な父は仕事が丁寧だったので、お陰様で継続して注文を頂き、忙しい毎日でした。
子供の頃から父の仕事は手伝っていました。時には出張先までついて行くこともあり、油で汚れた工場の床にブルーシートを敷いて二人で配管の下にもぐり込み、作業をしたのを覚えています。
私が社会人になり、初めて父と二人で居酒屋でお酒を飲んだ時のことを思い出します。とてもうれしそうに話をする父の姿が忘れられません。
若い頃は自衛隊に入隊していた経験もある身体の丈夫な父が、病気で入院しました。入院してからも、家族のこと、私のことをとても気にかけていました。元気になって退院してくれると、亡くなるその時まで信じて疑わなかったので、ほとんど話を交わすことが出来ないままとなり、後悔が残りました。
父が亡くなって十年位経った頃のことです。同じ町内に住む方から、お父さんに似てきたな、と言われました。その方は小学生だった頃の私しか知らないはずなのです。心底そう思われたのでしょう。うれしいような、照れくさいような、ほっとしたような、・・・何とも言えない気持ちでした。
父が亡くなって二十五年。今でも私の胸に去来する言葉は・・・「孝行をしたい時に親はなし」