東日本大震災の被災地を訪問(義援金寄付の御報告)

「ぴーなっつ」様を訪問
皆様の真心を下記の通り被災地へお届けさせて頂きましたので御報告致します。被災地の1日も早い復興をお祈り申し上げます。
■募金の寄付先・訪問日・寄付金額
特定非営利活動法人 さぽーとセンターぴあ
「ぴーなっつ」
福島県南相馬市原町区上渋佐字原田94−4
●訪問日:6月23日(木)
●寄付金:500,000円
〈内訳〉
街頭募金 108,295円
松川電氣 391,705円
特定非営利活動法人 泉里会
「ケアホームめぐみ」 「めぐみキッズハウス」
宮城県気仙沼市本吉町猪の鼻182−4
●訪問日:6月24日(金)
●寄付金:500,000円
〈内訳〉
街頭募金 108,290円
松川電氣 391,710円

「ケアホームめぐみ」様を訪問




被災地を訪問した社員が綴った感想文
再び東日本大震災の被災地を訪れて
東日本大震災から5年が経ち、被災地の現状があまり報道されなくなりましたが、まだまだ復興されたとは言い難い状況の中、「あの日を忘れない」という事で、被災された人達の事を想い、街頭募金を実施しました。そして、多くの方々のご協力を得て、お預かりした義援金を6月23,24日の二日間をかけて、現地の福祉施設に直接お届けをしてまいりました。
初日はNPO法人さぽーとセンターぴあ「ぴーなっつ」様を訪問させていただきました。この施設は南相馬市にあり福島原発より30キロ圏内に位置し、一部居住制限区域に指定され、被災された時は廻りの方々が安全なところに避難する中、この地にとどまり、障がい者の方々の支援を続けてこられた施設であります。さぽーとセンターぴあ代表理事の青田様と施設長の郡様に話を伺ったところ、被災当時は、津波が100メートル先まで押し寄せ、福島原発の問題もあり、生きた心地がしなかったそうです。そして今でも、原発に関しては、除染がしきれていない地域があるとか、甲状腺がんにかかった子供達が増えているとか、原発内部が今でも尚、危険にさらされている状況にあるにも関わらず、正しく報道されていないとか、とにかく問題が山積みにされているという事でした。そして当施設で困っている事は、若い職員がいなくなり、今は何とか頑張っているが職員の高齢化が進み、この先が不安であるという事でした。現実の問題として、しっかり受け止めていかなければいけないと強く感じました。
そして二日目は前回も訪問させて頂いたNPO法人泉里会「ケアホームめぐみ」様の「猪の鼻」という施設を訪問させていただきました。こちらは、当時、建設中でオープン間近の新しい施設を津波に流されるという被害を受けながら、前理事長を中心に強い意志を持ち続け、新しい施設を再建され、事業を続けられている施設です。今回は泉里会理事長の森谷様と副理事長の三浦様に話を伺いましたが、被災地は、土地の買い取り等に行政上の問題で時間がかかり、5年経った今でも、復興とは言い難い状況にあるそうです。防潮堤等の工事は進められているものの、今回は、今までに実際に起こった災害の教訓が全くと言っていいほど生かされておらず、危機感が薄かった事が被害が大きくなった原因の一つであり、地震は想定外の物まで含めて必ずくるという意識で準備し、対応していかないと大変な事になるから、是非、今回の大震災を教訓にするとともに、自分の命は自分で守り、生きていなければ人を助けられないという事を忘れないでほしいということを言われていました。
今回、両施設を訪問させて頂いて思った事は、普段から当たり前の様に働き、当たり前の様に生活している中での我々の苦労は、この人達の苦労に比べたら、比較にならない、本当にちっぽけな物だという事を感じたのと、これだけの惨事に遭遇しても、まだ、人を想う優しさや、尚且つ前向きな考えを常に持つ強さは、やはり自分達が見習っていかなくてはいけない点であると強く感じました。
今後も、松川電気社員としての仕事に携わりながら、同じ人間として、感謝の気持ちを持って、微力ながら社会貢献にも力をいれて関わっていきたいと思います。
最後に、これ程大変な苦労をされているにもかかわらず、暖かく、そして明るく迎えて頂いた施設の皆様に感謝するとともに、被災された現地の皆様のご健康と真の復興を心から、お祈り申し上げます。
施工部 村松正章
再び東日本大震災の被災地を訪れて
6月23〜24日の二日間に掛けて、東日本大震災の被災地である福島県南相馬市の
「さぽーとセンターぴあ ぴーなっつ」と宮城県気仙沼市の「ケアホームめぐみ」へ
弊社社員が実施した募金活動で集まった義援金を届けに行きました。地震発生から5年が経過し、復興も進んでいるだろうなという気持ちで訪問しました。訪れた施設の理事長をはじめ、スタッフの皆さんは非常に暖かく私達を迎えてくれました。しかし、現在の復興状況の話を聞くと思うように復興は進んでなく、それどころかまだまだ原発の放射能の問題や、汚染された土壌の保管及び処理方法の問題、そして津波被害に遭った被災地の土地の買収問題などまだまだ多くの問題が山積みであると言うことでした。その中でも、風評被害による農業・漁業の衰退、そして未来ある子供達の将来を非常に心配されていました。
今回の訪問で、テレビや新聞では報道されない被災地の現状を知りとても切ない気持ちになりました。同じ日本に住み、静岡県から福島県・宮城県までわずか数百キロしか離れていないのに被災地の方々はこんなにも不安な毎日を過ごしているのかと考えると、とても悲しい気持ちになり、静岡県に住む私達はとても恵まれている環境で生活していると感じました。それと同時に今回義援金を持って被災地を訪れた事に自己満足している自分が非常に情けなく感じました。震災から5年経った今でも多くの方々が不自由でそして不安な気持ちの中で生活しています。私達は、まだまだ募金活動だけでは無く色々な面で復興の協力をしていく必要があると感じましたし、協力したいと思いました。今回このような貴重な体験をさせていただいた事に感謝し、本当の強さそして優しさとは何かを考え、自分のさらなる成長の糧としたいと思います。
最後に、私達が訪問先から帰るときに満面の笑みで手を振り、お見送りしてくれた皆さん、そして被害に遭われた被災地の皆さんが本当に心から笑える日が来る事を願っております。
施工部 皆川秀人
再び東日本大震災の被災地を訪れて
6月23日、24日と東日本大震災の被災地を、募金活動で集まった義援金を持って訪問 する機会を作って頂きました。当日、雨の仙台駅を降り、街を見渡すと、5年前に大震災が起きた事を忘れてしまう程の街並みが広がっていましたが、車で郊外の高速道路を走っていると、汚染土入りの除染袋があったり、放射線量が表示されている電工掲示板が所々 あったりと、被災地に来たのだなと実感しました。
初日は、南相馬市で生活介護事業を行っている、デイさぽーと・ぴーなっつを訪問しました。ここでは自立した生活ができるよう食事、入浴、などの介助や創作活動、生産活動の機会を提供している施設で、代表理事の青田さんと、施設長の郡さんが対応にあたってくれました。そこで、青田さんの話の中で今、南相馬市は子供の数が減っているそうで 人口が減り、今後が心配だと言っていました。その他に、震災当時の津波の話や、放射線による立ち入り禁止区域周辺の話を聞いたりしましたが。印象に残った事は、私たちが普段テレビで聞いている事は、政府にとって都合のよい事しか報道されず、今、福島の原発がとても大きな問題を抱え、それが実際に起きてしまうと、震災以上に放射線による被害が出てしまうという話が印象に残り、まさか原発にそんなに大きな問題があるのかとびっくりしましたが、なぜ政府は本当のことを言わないで綺麗ごとばかり言うのか、もっと 全国の人達に被災地の現状は、今でも放射線に怯えていると伝えるべきです。そうすることで原発の改修工事や復興がもっと進み被災地の方たちが安心して暮らすことが出来るのではと思いました。実際に現場に行かなければわからなかったので大変良かったです。
2日目に、気仙沼のケアホームめぐみさんに義援金を届けに訪問しました。津波の影響を受けないようにと少し小高い所に新築したこの施設ケアホームめぐみさんは、社会貢献活動を目的とし、利用者やご家族・教育機関、地域の方々の協力が得られるよう交流と連携に努め、地域福祉に貢献する事をねらいとした非営利活動法人です。ここでは理事長の森谷さんと副理事長の三浦さんが対応にあたってくれました。森谷さんの話の中で、当初復興に3年はかかると言われ、当時はそんなに掛かるものなのかと思っていたそうです。しかし、5年がたった今でも全く復興は進んでなく、原因は土地の買収が上手くいっていないことや、工事業者の数が足りないことで、防潮堤の工事が進んでいない事も原因にあるそうですまた、役所や行政のシステムに問題があり。せっかく復興庁が出来ても何の機能もしていなく、1つ余計に書類を確認する庁が増え手間が掛かるだけで意味がないと、また三浦さんも、ぴーなっつの青田さんと同じように、政府は良い事しか言わず、本質の悪い部分は報道していないとも言っていました。
最後に三浦さんが私達に、震災は明日来るかも、今日来るかもと常に思っていてください。そして、まず「自分の命は自分で守る事が前提、家族がどうのこうのより、自分が助からないとその家族や周りの人達を助ける事が出来ない。」という言葉が印象に残りました。
この2日間という短い時間で、被災地のほんのごく1部しか、見たり聞いたりできませんでしたが、その中でも、被災地の人達は未だ進まぬ復興に、苦労している姿が見てとれました。私達は募金活動という事でしか協力できませんが、1日も早く復興が進むように、今後も、時間を見つけ継続で募金活動を進めて行くべきだと改めておもいました。
施工部 小野寺政幸
再び東日本大震災の被災地を訪れて
今回5年が経過した東日本大震災の募金活動を会社として行い、その代表のひとりとして、再び被災地に義援金をお届けに参りました。
被災地訪問は、2日間の予定で2施設へ訪問させて頂きましたが、一か所目は福島県南相馬市にあるさぽーとセンターぴあ「ぴーなっつ」様を訪問しました。
5年が経過し一見普通の生活を取りもどしているかのようにも見えましたが、代表理事、施設長2名のお話しを聞くとやはり、福島原発の放射能問題がそこにはあり、問題を収束させるには自分たちの生きている間では、全く解決できず、この先100年単位での時間が掛かってしまい見通しが全く立っていない状況だそうです。施設の4キロ先は未だ立ち入り禁止区域になっていて、放射能の影響かはわかりませんが、子供たちに甲状腺がんが増えていること、そしてこれから生まれてくる人達の生活に迷惑をかけてしまうこと、若い世代の人たちが町を出ていくことを非常に懸念されていました。ただ施設の障がい者の方たちが元気に生活を送られていたのでその点だけでも心が救われました。
二か所目は宮城県気仙沼市にあるケアホームめぐみ様を訪問しました。
5年前気仙沼市は大規模な津波に襲われ壊滅的な被害を受けた町です。
めぐみ様でも理事長、副理事長2名のお話をお聞きしましたが、5年が経過し復興が進むにつれ新たな問題が出てきているそうで順調には行っていないそうです。復興には複数の国政や行政が関わり合いひとつのことを行うことに対し、時間が掛かりすぎることや、津波に流された土地の所有権の問題があり、国が勝手に土地を買い上げることが出来ない等、時間が経つにつれ新たな問題もでてきているそうです。地震が起きた場合、防潮堤があると人間は安心して避難しなくなる。家族のことは心配せず自分だけでも助かるつもりで避難する。助からなければ、家族とも会えない。だから自分の命は自分で守る。震災に備えてください。非常に説得力のある言葉に感じました。
今回募金活動を再度行うと聞いた時、正直自分は街頭の人たちは募金活動に見向きもせず通り過ぎて行ってしまうのであろうと勝手に考えてしまっていました。しかし実際には多くの方が足を止めて頂き募金をして下さいました。
まだまだ日本人は捨てたものじゃない。本当にやってよかったと思っています。
ありがとうございます。今自分たちの生活は、非常に恵まれていて何の不自由も無く生活ができています。ただ忘れてはいけないのは、今この時間も日本の中では何の罪も無いのに、震災により普通の生活が奪われている方々がいるということです。我々松川電気社員一同は、今後も募金活動を通じ、微力ではありますが、社会貢献活動を続けて参ります。
施工部 一色和夫
「再び東日本大震災の被災地を訪れて」
今回私達は、東日本大震災の発生から5年と言う月日の中で、「あの日のことを、忘れない」そして「1日も早い被災地の復興を」と言う思いの中、集めさせて頂いた義援金を届ける為被災地を訪れました。
1日目は、福島県南相馬市にあるデイさぽーとぴーなっつ様を訪問させて頂きました。
そこでは、施設の4km先は原発事故により今も立ち入り禁止区域になっている事、除染により発生した廃棄物の処理問題、そして何より放射能による子供たちへの健康被害の増加。
どれも、今の自分には想像する事も出来ないような出来事ばかりで言葉を失ってしまいました。それと共に、現状を認めず自分達に都合の悪い事を隠そうとしている原発、日本と言う国に怒りさえ覚えてしまいました。
そして、その中で生活している人達の事を考えるととても辛く自分達がどれだけ恵まれた環境の中で生活しているか改めて感じる事が出来ました。しかし、そのような状況の中でも施設の方達はとても明るく前向きであることにとても勇気づけられました。
2日目は、5年前にも義援金の寄付をさせて頂いた宮城県気仙沼市にあるケアホームめぐみ様を訪問しました。気仙沼には、昨年自分の私用で訪れた事があり海岸沿いの津波による被災地は、瓦礫は取り除かれ整備されているものの建物などほとんど無く復興には程遠い状況にあることを感じました。そして、今回施設の方の話を聞く中で土地の利用には国、行政による幾つかの手続きが必要で時間が掛かってしまう事など様々な問題により遅れが生じている事を知りました。
そして、今回私が一番心に残った言葉は「まず自分が生き残る事を考えてください。」「生きていなければ誰も助ける事は出来ません。」と言う言葉でした。まさにその通りで震災を体験した人でなければ出て来ないことだと感じました。
今回の視察では、直接被災地の状況を見る事は出来ませんでしたが、被災地の方の生の声を聞くことが出来とても良い経験をさせて頂きました。そして、復興の為にはまだまだ支援が必要だと感じました。
今後も私達は、微力ながら募金活動など自分達に出来ることを見つけ被災地の方の支援を行っていきます。
施工部 大石雅之
再び東日本大震災の被災地を訪れて
東日本大震災より早いもので五年の月日が経ちました。まだまだ復興が進まないという状況で、あの時のことを風化させてはならないという思いで浜松駅前にて弊社は三日間に渡り募金活動を大石責任者のもと行いました。募金活動を行った時に自分が思ったよりもたくさんの人達が募金をしてくれて、とても感動しました。「世の中捨てたもんじゃないなあ〜」と思いました。その皆様の温かい思いと、募金を持って被災地、南相馬市の「デイさぽーとぴーなっつ」さんと、気仙沼市の「ケアホームめぐみ」さんを訪ねました。
一日目は福島県南相馬市の「ぴーなっつ」さんを訪ねました。青田理事長さんと、郡施設長さんに現地の状況の話をいただきました。津波、地震による被害の話。やはり、理事長さんから聞く話の中では福島原発の放射能の問題が多く、声が大きくなっている様に感じました。自分達人間が作り上げた原子力発電所なのに自分達人間が苦しまなければいけない。もっと後のことを考えて作らなければいけなかったのではないか。その場の利益や便利さで作ってしまえば後で取り返しのつかないことになってしまう。まさに今、みんなが色々考え思っていることだと思います。とにかく現地に自分の家があり、そこで生活出来ない人がいます。また、原発の不安を抱えながら、現地に家があり、そこで生活している人がいます。いち早く国で責任を取り、何か解決策を取って欲しいと思います。このままでは今の世の中も同じことを繰り返しかねないと思います。今自分達のことだけを考えず、後世へ繋げて行ける様に広い心で先のことまで考えて行動しなければいけないと感じました。
二日目には宮城県気仙沼市「ケアホームめぐみ」さんを訪ねました。森谷理事長さん三浦副理事長さんの話の中では、津波被害の話が多かった様に思います。特に津波被害を受けた後の、土地の復興が、なかなか手続きの問題が多すぎて時間が掛かるそうです。今各地で海岸に防潮堤を多額の金額をかけて作っていますが意味があるのか。逆に安心して逃げ遅れるのではないか。そんなお金はもったいないので、もっと他で使えばお金が生きるのではないか。賛否両論あります。これからの課題ではないかと思います。
話では自分も前から聞いており、自分の家族には地震で津波が発生したらまず「自分の身は自分で守れ」と伝えてありますが、三浦副理事長さんも同じことを言っていました。津波が発生した時、家族の安否が心配で探しに行って死んだ人が何人もいます。とにかく自分の身は自分で守って下さい。死んでしまったらどうしようもありません。まず生きてそこから始める様にして下さい。
と言っていました。
被災地の生の声を聞いて、まだまだ問題は山の様に残っており、特に原発問題は何十年、何百年経っても復興しない様な気がします。今出来ることはみんなで助け合うこと。これ以上取り返しのつかない物は作らない。先のことまで考えてみんなが行動して行かなくてはいけないと思います。自分達の出来ることはほんの小さなことしか出来ないかもしれませんが、みんなが小さなことを積み重ねて行くしかないと思います。これからも自分の出来ることを考えて行動し死ぬまでに少しでも自分の思いを後世に伝えたいと思います。
一刻も早い被災地の復興を願っています。
施工部 星野広幸
以上をもちまして御報告とさせて頂きます。